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土間先祖返りに、・・・戸惑いの主婦・・・・・・・

竪穴住居

個人主義を「自由勝手気儘なこと」と思い込んで、
現在の混乱を招いてしまった。

このことに胡散臭い感じを6感で嗅ぎ分け始めたのが、
かのパギャル

(正直に言います。
 この言葉は嫌いです。
 広告説得のための造語と思いますが、
 草食男子・パギャル・・・・なんとなくの感じです・・・・・)

振り返りながら今一度。

 「原始時代、女は太陽だった」 平塚らいてうの有名な言葉である。



原始時代の日本人は竪穴式住居。いわば土間だけの住宅に住んでいたのです。
火・水・かまどのアミニズムとともに暮らしていた。
母権制社会でした。
土間の神々を祀るのは主婦の勤めであり、一家の家長は女でした。


古代大和朝廷時代に貴族たちは高床式住居に、
律令制とともに家父長制が広まりました。

これが平安時代の寝殿造りに繋がりました。

畳が引き詰められた座敷が登場するのは近世の書院造りからと言われています。
これまでは、畳は寝具です。

京都御所清涼殿に昔のかみさんと宮内庁の許可で見学した時に、
やはり畳が公務空間昼御座(ひのおまし)
、夜御殿(よんのおとど)の空間構成に感動したのを覚えている。

そして空間を実際に見て平安期のあのお化粧も納得できたものである。
これは、樋口清之氏の話と合わせながら、又の機会に。

近代の明治時代以前が全てこのようになっていたわけではなく、
民俗学者宮本常一氏の研究でも述べられている。

日本の農家は、
竪穴式住居が土間に、
古代の寝殿造りが板の間に、
近世の書院造りが座敷に、
次々と時代の変遷で加えられて、今見るような住居の形になっている。


 「かかあ天下に、からっ風」 

と言われるように、近世中期以後までは土間が農家の大半を占め、
母権制度で家長が女性であった。特に中部以東の地域においては顕著であった。


男の家父長制が一時は主導権を取りながら、

現在になり、畳の上に絨毯を敷き、椅子、テーブルを置いて、
家中スリッパで歩く姿が多く見られてもいることは、

 家全体が、「土間の先祖返り」 


戦後の住宅設計の基本は、主婦の家事労働削減であり、家全体を主婦の作業場、

「土間としての設計」であり、アミニズムも復活してきている感じである。


土間としての住宅設計が流れを変え、

少なくても、女性は太陽である。少なくても現在は。


その結果が、果たして主婦にとって幸せでなく、


戸惑いで、あたふたしている状態ではないか。



この戸惑いの中で育てられた今の女性たちが、何かを求めて動いているようにも思える。

土間の先祖返りは、更に都市の町家の話からも考えていきたい。









宜しかったら、此方もお願い。でも、忙しいから無理しないで。

でも、です。宜しかったら、コメントも。腹の中に収めるのが大人の作法ですよ。「ケッ。あほくさ」を。
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