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かみさん VS。  だんな=哀れにも負けたよ。

家長制度

「土間の先祖返り」で、女性は太陽である。
原始時代に様変わりをしているのが現代。

農家の話は前回。今回は都市の町家から見てみたい。



町家では土間は商取引の場所として使われてきたし、京都の町家では通り庭の土間が。

明治以後、官吏やサラリーマンの独立住宅では、
書院造の流れを組んでいたが、
屋内作業量が減ったので土間は狭くなって、台所として、
当然当時は薪炭で炊事、炉や流しの置かれる土間はまだかなりは広かった。

当然主婦の完全支配下である。

この土間は、台所と同時に勝手口であって、御用聞き・配達、その他の人々との

コミニュケーションの場でもあった。

そして、台所の半分は板の間。これは農家の板の間の使われ用を見ればわかると思う。


明治の都市住宅は、書院造であるから畳敷きが基本である。

もともと座敷は、主人より偉い人を接ぐために作られたものであるから、明治の住宅も
最も良い部屋は客間である。

玄関も、接客用であるから三畳・四畳半の間が付けられていた。


台所に続く茶の間はこれは主婦のもの。
残る居間は、これは家長の支配下であるが、家族全員のものである。


考えてみれば、家全体は俺のものであると威張って叫んだ家長が、

自分自身の空間を持っていなかった。



憐れ、残念至極。


そこで、家長は考える。

権力を行使できるのは、絶えず客人を招くことである。

家の中心部を占領して、大いに語り、大いに飲み、かつ食った。
家人の迷惑そっちのけで。


小説によく出てくる場面である。


そこで、家人の反撃が始まる。第1幕・・・・ジャジャーーーン。



明治末頃、ハイカラな家庭では、和風住宅に洋館をつけて、主人の書斎と接客用に。

ていよく、追い払われ隔離されたのです。wwwwww


大正時代になると、都市設備の普及と主婦の地位向上も含めて近代的台所が誕生した。

立式になり、土間は履物を脱ぐ狭い部分だけ残してすべて板の間になり、
台所の面積は約半分になった。
そして、書斎兼接客用洋館は、玄関脇にチョコンと応接間になった。



威張るしか能がない家長は、戦後、更に家長制度のつっかい棒が外されたので、


完全に没落。自分の空間すらなくなった。


虚し、日本の男よ。


そして、高度成長期を迎え、台所は更に狭くなり、家電品がのさばり始め、
母親からの伝えすら教えられずに来た。
そして、パギャルと言われる若者に伝えることすらできない。

そこで、出番が「おばあちゃんの知恵袋」
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でも、母親は、太陽になったのです。


困り果てて、救いを求めたのが、どこの家にもガラス戸棚が置かれ、
土産物、人形が飾られ、玄関の下駄箱、ピアノの上、ありとあらゆる所に
お祝いとか記念品、土産など捨てたり、片づけたりできずにそのままに。

これは、考えてみれば原始時代のアミニズムそのものである。







宜しかったら、此方もお願い。でも、忙しいから無理しないで。

でも、です。宜しかったら、コメントも。腹の中に収めるのが大人の作法ですよ。「ケッ。あほくさ」を。
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