FC2ブログ

1965年名神高速全線開通。1964年東京オリンピック。原点です。

東京オリンピック
暢気に、哲学の運転なんてほざいていますが、1965年名神高速が、正式に全線開通。
東名高速は、遅れて1969年全線開通。
これ以後、荷物の高速化、冷凍技術により、現在の食卓を作る。

1964年東海道新幹線全線開通10月1日。

これまでは、名古屋ー東京間「、東海号」で、6時間半以上の乗車時間で、
さらに本数が少なく、当時、デザインパネルB1サイズを4枚くらい持ち、立錐に余地なく、
入り口付近で、東京まで耐えに耐えて乗車した、耐え難い記憶が残っている。

もう、今では、この根性はない。

この開通が、無理やりのごとく、
そして、10月10日。「東京オリンピック」開催。

オリンピックもそうだが、それ以上に、衝撃を与えてのが、
デザイナー亀倉雄策。カメラマン早崎治。による、一連のオリンピックポスター。

これに刺激を受けた一部の若者が、憧れ、
一時期は、銀座で石を投げると、必ずデザイナーに石が当たるとまで言わしめた。

さらに、1964年5月11日、その後の若者意識を変える衝撃的な「平凡パンチ」大橋歩表紙とともに創刊。

さらに、さらに、若者意識を革命的に変えた、石津謙介「VANジャケット」

パンチとVANによって、これまた、銀座で、みゆき族が生まれてくる。

殊更に、年号を述べてきたが、

このとき前後から、一気に都市化が始まり、自然を失うことになる。

都市に人が集まれば、当然、経済は活性化してくる。
当時、ビルは、高さ制限31メートルがあったが、これでは対応できなくなり、高層化に、

面倒なことを言えば、X-Y軸から、Z軸に。
そうすれが、人の歩く、太陽の当たる、緑の空間が出来るとの、思い込み。

それが、1968年霞ヶ関ビル。1971年京王プラザホテル。新宿三井ビル。

働く空間を求めて、都市に人が集まれば、当然、遊びの空間が必要になる。
さらに、居住空間が、必要になる。

此処に、「働」-「遊」-「住」このリングが成立してくる

かなりの資料を捨てたので、記憶をたどるのが、おぼつかない。
今、赤坂にあった「ゴー・ゴー・クラブ ムゲン」
プロデュース:浜野安宏。
ここまでは思い出すが、建築設計が、多分間違いかもしれない丹下研究室から出たばかりの黒川紀章。
ムゲンの店の前で、物売りをしていたのが、
これ又驚きの、ロンドンから日本ファッションを売りだしたあの人かな。

あ~~~~~~~~~~。ぐちゃぐちゃ


関連記事
スポンサーサイト



Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)