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この時代、体大きく、部屋小さく。

  • Day:2012.04.23 02:27
  • Cat:日記
公団2
都市に人が集まり、若者たちが服装に目覚めた「衣」
遊ぶ空間の商業店舗施設「食」
最後に残されていた「住」

当然、住む空間が不足していた。

1955年、日本住宅公団が設立され、賃貸住宅が大量供給されてきた。
此処で、「衣食住」、戦後の復興期から、少しずつ形を表してきた。

公団の凄かった所=1    「寝食分離」で、6畳間、4,5畳間、DKの2DK

公団の凄かった所=2    「ステンレスシンク」

公団の凄くなかった所=Z   「関東間より更に狭い団地サイズ」

当時は、仕方がなかったのです。住宅が不足していたから、質よりも量であって、
とにかく、戸数を増やす必要があったから。

何しろ、物が不足気味であり、システムが出来ていないので、
私の子供の頃は、靴に、体を合わせること、(サイズが少なかったから)
小学校の椅子も、椅子に体を合わせること(木取り寸法から作るので)でしたから。

コンクリートの厚みと金尺モジュールに依る平面寸法を、取らざるをえなかったから。

最初は、13坪であった。後期型は、15坪になったが、

これが、政府公認であるからと、民間賃貸住宅が、右へナラへです。

今から考えると、多分、1DKの意識でないか。
そして、古くからの戸建て住宅に住んでいた人にとっては、
6畳間が、4,5畳間の感覚でなかったか。

畳は、以前書いたように、

高い保温性。適度な足ざわりの良い弾力性。室内の調湿作用。空気浄化作用。床全面の掃除機作用。

今でも、畳が、最高の床材と、私は考えている。次に良いのは、コルクタイル。

現在住んいるところも、32年前に設計して、コルクタイル(これには、苦労した。
職人がいないので、
自分で、全部張り込んだ。髪の毛一本分の隙間を開けて)と、畳である。

この畳も、経済との関係で、太閤検地の時に6尺3寸。世界一人口密集地であった江戸時代に6尺に。

もう一点。

畳割り(畳が基準)か、柱割り(柱を基準とする)この違いがある。

江戸時代には、柱割りが主体に。これが微妙に、空間を歪める。

1)京間。本間。関西間。
  畳サイズ=3尺1寸5分×6尺3寸(955×1910ミリ)

2)中京間、三六間。
  畳サイズ=3尺×6尺(910×1820ミリ)いわゆる、ベニヤ板と同寸法。

3)江戸間。関東間。田舎間。五八間。
  畳サイズ=ほぼ、2尺9寸×5尺8寸(880×1760ミリ)1間=6尺の柱割り。

4)団地間。公団サイズ。
  畳寸法=中心寸法。2尺8寸×5尺6寸(850×1700ミり)


一番広い京間と団地間では、
 955-850=105ミリ。1910ー1700=210ミリ。この差です。


一概には言えないが、京間の空間からは、総理大臣が多く出ている感じもする。

いろいろの要因が重なるので、追跡も、検証も出来ないが、

空間に依る人間意識を考えると面白い。


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