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おさじ2杯。ここからでした。明治15年。

  • Day:2012.05.05 22:26
  • Cat:日記
明治時代

料理学校が出来た。

明治15年、東京日本橋に。

明治維新で、大名、旗本に仕えていた料理人が、失業したのです。

やはり、今や、カッコつけてるフランス料理が、そうです。
フランス革命で、料理人が、失業して、やむなくコックたちが、
市民相手に街頭レストランを開いたのが、始まりです。

唯、日本では、失業して、店をだそうにも既に江戸時代からの料理屋が
繁盛していたので、これらの店に再就職です。

歴史は、同じですナ。

此処に、赤堀峯吉さんが、登場。彼が、目をつけたのが、
家庭の子女が、料理を学ぶのは、母親から伝えられる日々の支度が出来ればそれでよし。

江戸時代から、宴会は、「料理屋」で。

       家庭でする時には、「仕出し料理」で。

江戸っ子の見栄っ張りもあり申すが。

そんなもんです。
東京で、この状態。農村では、言わずもなが、デスナ。

赤堀峯吉さんが、目指すのは、

家庭でも、接客料理が作れるようにし、
日々の食卓を、豊かに。この理念。今ではないです。薄っぺらペラで。

当時の教育を受けた言わば、エリート奥様予備軍の願望を、特に、此処強調。

大名旗本婦人が、奥様と呼ばれていたのが、
明治以後、一斉に、当時の「官員住宅」「会社員」の婦人が、奥様になり申したんです。
それも、東京山の手の官員住宅が、形成された頃。

上手く取り入れたのが、赤堀峯吉さん。 
日本初の「赤堀料理教場」誕生。

2点、注目点があるのです。

1点=日本女性が、初めて台所仕事を「立ってすること」を知りました。

2点=「割烹着」が、この教場で考案されたのが、明治35年。

なにせ、意識も高い女たちです、身なりもきちんと整えて、気飾ってくる。
そこに、たすき掛け、前掛けでは、いかにも八百屋のおばさんスタイル。
更に、この格好は、上流には似合わない、下女の格好。

「割烹着」いい響きです。
此処に込められたのが、料亭でしか食べられなかった高級料理「割烹」を家庭に。

今時のレースでエプロンみたいなペラペラ感ではないんです。

もっとも、以前深夜TVで、すぽんぽんにエプロン一枚。
エプロンもこれなら、良いですナ。
最も、当時好きなタレントの一人でもあったので、5秒間、見た記憶があるだけですがね。

現在でも、割烹着姿、台所で、作業をする姿がいろっぺー。
これぞ、‥‥いーーわない。


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まとめtyaiました【おさじ2杯。ここからでした。明治15年。】
料理学校が出来た。明治15年、東京日本橋に。明治維新で、大名、旗本に仕えていた料理人が、失業したのです。やはり、今や、カッコつけてるフランス料理が、そうです。フランス革命
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